生涯学習について
先月は「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」についてお話しました。検討会の内容は今後、中央教育審議会での審議を経て新学習指導要領に反映されていくものと思います。
この中央教育審議会というのは文部科学大臣の諮問機関で、その役割は「教育の振興及び生涯学習の推進を中核とした豊かな人間性を備えた創造的な人材の育成に関する重要事項を調査審議し、文部科学大臣に意見を述べること」となっています。
ちょっとややこしいのはこれとは別の「教育未来創造会議」というものもあるのです。
こちらは内閣府の管轄で議長は内閣総理大臣であり、文部科学大臣もそのメンバーです。会議の目的は「我が国の未来を担う人材を育成するために、高等教育をはじめとする教育の在り方について、国としての方向性を明確にするとともに、誰もが生涯 にわたって学び続け学び直しができるよう、教育と社会との接続の多様化・柔軟化を推進すること」とされています。
2つの会議の意見が大きく異なるとは考えにくいですが、それでも文科省としては双方のバランスを取りながら方針を立てなければならないのでなかなか大変なのではと思います。

ところで、どちらの会議でも「生涯学習」が取り上げられていることをみると、日本政府、文部科学省はこれに相当の力を入れていることがわかります。じっさい令和5年の文部科学白書でも冒頭から「生涯学習社会の実現」が謳われています。

確かに社会変化のスピードが増す中でよりよく生きていくためには、新たなことを学び変化に適応していくことが重要になって来ていると思います。ですから「誰もが生涯 にわたって学び続け、学び直しができるような社会」を実現するための制度や体制を整備していくことはとても大切なことだし、自分も大いに歓迎です。
ただここで問題になってくるのは人々の「学ぼう」というモチベーションの有無ではないでしょうか。
社会の中には「学びたい」という欲求を持っている人たちがいる一方で、一度習得したことに固執して、なかなか新しいものを受け入れない傾向を持った人も少なくないように思います。ですから生涯学習社会を実現していくためには、いかにして「学ぼう」というモチベーションを持つ人を増やしていくかということが課題になっていくのではないでしょうか。モチベーションを持った人を育て、維持していくことが出来なければ、制度や設備を作っても宝の持ち腐れになってしまうことが危惧されます。

この「学ぼう」というモチベーションに関して自分自身の話をさせてもらうと、自分はけっこう高いほうだと感じています。この歳になっても「学びたいこと」「やってみたいこと」がたくさんあってとても時間が足りない状況なのです。自分で言うのもなんですが、生涯学習という面では自分は「優等生」と言えるかもしれません。

ではなぜ自分は「学ぼう」というモチベーションを維持できているのか。
そのことを考えるために、少し自分の「学習遍歴」を振り返ってみようと思います。

自分が生まれ育ったのは東京の新興住宅地で、それなりに教育意識の高い家庭が多かったと思います。そのため小学校の高学年になると塾に通う子も多くなり、友達の何人かは中学受験をして私学に進学していきました。そんな中で自分は塾には行かず、勉強は学校でだけ、しかも嫌いなものに関してはかなり手を抜いていました。特に嫌いだったのは漢字の書き取りで、宿題をサボりまくったため、未だに漢字を書くことに関しては小学生レベル、パソコンなしにはとても文章がかけません。また今でこそ数学教師ですが、当時は計算練習が嫌いで熱心には取り組ませんでした。そのため計算のスピードに関してもちゃんとトレーニングをしてきた人にはとても太刀打ちできません。
一方で興味のある理科や社会に関しては自分で本を読んで調べることもありましたし、算数でも興味があるものについてはよく考えました。今でも強く印象に残っているのが友達が持ってきた図形の面積の問題で、なかなか手ごわく一週間以上も考えていたように思います。今にして思うと、正確な解には無理数が含まれるので小学校の四則演算だけでは絶対に解けない問題なのですが、なんとか解こうとして兄に借りた教科書の三角比表を使って一応の答えにたどり着いた記憶があります。
このように自分の小学校時代の学習は「興味のないことはできるだけしない」「興味のあること、楽しいことには熱中する」というもので、今であれば自分には何らかの「診断名」がつきそうです。
そんな様子だったので小学校の高学年の成績はあまり良くはありませんでしたが、それでも「塾に行け」とは言わなかった親には感謝しています。なぜなら学習に関しての「やらされた感」が少なく、自発的にしたことが多かったこと、そして「学ぶことの楽しさ」を知ったことはその後の自分にとってとてもプラスになったのではと感じているからです。
中学、高校になって受験勉強もするようになると、さすがに「好きなものだけ」というわけにはいかなくなり妥協することも覚えていきましたが、つまらないことは最小限で済ませ、面白いことには可能な限り時間をかける姿勢は変わらなかったと思います。

そして実は今もその状態が継続しており、それ故に興味のあることに対する「学びたい」というモチベーションが継続しているように思われるのです。ですから自分の場合は「学びたいという気持ちが生まれてきた」とか「学ぶ姿勢を身につけた」というよりは「もともとあった好奇心や関心が潰されず継続している」という印象なのです。これが、もし「つまらない勉強」も無理やりさせられたとしたら、学習に対する嫌悪感が強くなり、本来の持っていた興味や関心、好奇心も失われていたのかもしれません。

個人の経験を一般化する愚は避けるべきなので、ここからの話はあくまで自分の感想として聞いてほしいのですが、今までの日本の学校教育は子どもたちの興味や関心、好奇心を十分に伸ばしてこれなかったのではと感じています。先月もお話したことですが、指導要領で習得すべきとされる内容が多すぎて、自分の興味や関心を深く掘り下げることが出来ていないことが問題だと思います。それぞれの教科からすれば「これぐらいは学んで欲しい」ということばかりなのかもしれませんが、トータルすると膨大な量になってしまっているのです。今後はもっと大胆に選択できる部分を増やし、その取捨は現場の裁量にまかせていくべきではないでしょうか。

蛇足になりますが、自分の「生涯学習」についてお話しておきます。
今は「スタンフォード物理学再入門 量子力学」という本を読んでいます。
先述したように自分は小学生の頃から理科が好きで、高校生の頃は物理学者ハイゼンベルクの著書「部分と全体」を読んだりして、大学でも物理を勉強したいなと思っていました。ところが高校2年の頃から興味がだんだんと数学に移っていって、迷った末に大学では数学を勉強する選択をしたのです。そのため量子力学に関してはしっかりと学習したことはなく、一般向け啓蒙書程度の知識にとどまっていました。
ところが最近になって量子コンピュータの動作原理の解説などを読んでいると、量子力学に関する理解の曖昧さを感じ「もう少しちゃんと理解したいな」という気持ちが湧いてきたのです。たださすがに今から専門書を読むのはハードルが高いので、なにか良い本はないかと検索して見つけたのがこの本です。元はスタンフォード大学が一般向けに開いている物理学再入門の講座で使われたテキストで、あくまで一般向けではありますが、雰囲気やイメージだけではなく必要な数学はきちんと使って正確な知識を提供することを目的としたものです。
習得には時間がかかるとは思いますが、少しづつ理解を深め「生涯学習」を楽しんでいきたいと思っています。
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