ゲームについて
今の子どもたちにとってゲームの存在はとても大きなものになっています。
それに伴い子どもたちのゲーム時間が長くなることを心配されている親御さんも増えているのではないでしょうか? 近年、子どもたちが熱中するようなゲームが次々と開発・販売されていく一方で、ネットや書籍ではゲームへの依存の危険性を指摘する言説が多く見られるようになり、さらに「どうやって子どものゲーム時間を制限したらよいのか」を教示するサイトも多くなってきました。ここには親御さんたちの不安が反映されているように思います。
一方で子どもたちが熱中するようなゲームを開発・販売しておきながら、他方ではそれへの依存の危険性を指摘し、制限の必要性を唱えるというのはどこか本末転倒したものを感じるのですが、巨大化したゲーム産業や、すでに広く浸透しているゲーム文化を考えれば、今さらこれらが縮小していくことは考えにくく、現実的にはゲームとうまく付き合っていく術を身につけることが求められていくのではないでしょうか。そしてそのためにはゲームのマイナス面だけでなくプラス面にも目をやり、それを伸ばすような楽しみ方をしていくこが必要になります。
今月はそんな視点からゲームに関するお話をしてみようと思います。
生野学園では共同生活の中で周りの子の迷惑にならない範囲であればゲームを制限していません。そのため学園に来ている子どもたちは当然のようによくゲームをします。特にはじめのうちは他にやることが見つからず「暇つぶし」的にゲームをしてしまうこともあり、はたから見ると「依存しているのでは?」と心配する向きもあります。ただ、あとからそうした子どもたちに聞くと「あの頃はそうでもするしかなかった」「ゲームが無かったら居れなかったかもしれない」といった話をしてくれることがあります。ですから一見すると無駄な時間の様に見えても本人にとっては「避けることのできない時期」である可能性もあるので、一概に否定するような対応は避けるべきだと思っています。
そして「ゲームばかりしている生活」がずっと続いていくかというと、そうではなくて、周りの人との関わりの中から何か「やりたいこと」を見つけ、少しづつ他のこともするようになり、次第にそちらへと重心が移っていくのです。
ただ、そうかと言って全くゲームをしなくなるわけではなく「息抜き」的に楽しむことは続けている子がほとんどで、例えば疲れたときは無心でゲームを楽しんで回復するというような「上手い」使い方が出来るようになっていく印象です。
こうした様子を見ていると「ゲーム時間を制限する」ことよりも他に「楽しめること」「打ち込めること」が見つかるような環境を作っていくことの方が重要なのではないかと思います。生野学園の場合はクラブや行事での上級生の姿に接し「自分もやってみたい」という気持ちが起きることがきっかけになることが多くあります。
また今の子どもたちはゲームを介して人との関係を作っていくという面もあります。
例えば子どもたちに根強い人気があるスマッシュブラザーズ(スマブラ)という対戦型格闘ゲームがあって、中学の男子寮ではよく居間に集まって何人かで楽しんでいるのですが、その様子をみると普段はあまり関わりがなく話したことのない子どうしでも、ゲーム中では自然に会話が生まれお互いの距離が縮まるきっかけになることがあります。1対1ではなく複数が画面を介してつながるという「距離」がとっつきやすのかもしれません。
そして高校では昨年から「スマブラ部」ができてゲームの大会を企画しています。これはもちろん「楽しむ」ことを目的としたものですが、この大会の中でたぶん新しい関わりも生まれていくのではと思っています。
もう一つ子どもたちに根強い人気があるゲームにマインクラフト(マイクラ)があります。
マイクラは世界で一番売れたゲームなのでご存じの方も多いかと思いますが、念のため簡単に説明しておきます。
このゲームは立方体のブロックを素材として作られる広大な「ワールド」を舞台にして遊ぶゲームで、ランダムに生成された山や川や海などのある「自然」のワールドの中で様々なものを手に入れ、それを利用して出現する敵と戦いながら生き延びていく「サバイバルモード」と、自らが創造主になり様々な素材を使って自分の思うようにワールドを構築していく「クリエイティブモード」に大別されます。
サバイバルモードでは一応「エンドドラゴン」というラスボスが居ますが、普通のRPGゲームのようにこれを倒すことだけが目的ではなくて、全然別の遊び方をしても構いません。
クリエイティブモードでは自分の思い描いた世界を創造したり、実在の建造物などを再現するといった楽しみ方をします。さらにブロックを組み合わせて作る論理回路を使ってワールド内に様々な装置や機械を作ることもできるし、プログラムを組んでワールドの作成自体を自動化することまで可能です。とにかく自由で多様な楽しみ方が出来るゲームなのです。
このマイクラですが、世間では「教育に良い」という評判があります。
特にマイクラの中にはクリエイティブモードをアレンジした「教育版」というのがあって、これは文科省や総務省からも推薦されてりる「優等生」的ゲームなのです。
そんな事もあってマイクラは教育的に利用されることがよくあります。例えば「マイクラを使った子どものためのプログラミング教室」などが開かれたり、学校でも総合学習の時間にマイクラを使った授業を導入しているところがあったりします。
ただマイクラに限らずゲームを教育的に利用する際には注意が必要だと思っています。
それは「ゲームを使えば興味を示すのでは」とか「ゲームを使って何かを教えよう」といった発想で利用するとゲームの最大の特徴の一つである「自発性」を台無しにしてしまう危険があるということです。本来であれば子どもたちが自発的にゲームを楽しむ中で何かに気づいたり、何かを学んだりしていくべきであって、ゲームを何かを教えるための教育的手段にした瞬間にその魅力は半減してしまうように思うのです。
数々の素晴らしい作品を創られ、またマイクラを通した教育実践もされているプロマインクラフターのタツナミシュウイチさんはあるインタビューの中で、
「『子どもたちに何かを教えよう』なんて考えてはいないんですよ。すでにマインクラフトに触れている子どもたちは、私の想像をはるかに超える作品を生み出してきますから。もちろん技術や知識などを教えることはあります。でも大事にしているのは、彼らの主体性です。」と語られています。
さらにタツナミさんが開催されるワークショップでは「テーマや基本的な予備知識を伝える事はあります。それを解決するためにはどうすればいいのか、子どもたちがそれぞれのマインクラフトの中で表現してくれるんですが、口出しはしません。静かに見守るだけ。そうすると驚くような考えを披露してくれるんですよ。」とも語られています。
もちろんこうしたことが可能なのは参加者がタツナミさんの作品に惹かれ自主的に参加している子どもたちだからということはあるでしょう。
ただ子どもたちに向きあうタツナミさんの姿勢はとても示唆に富むものであり、ゲームのプラス面を引き出す上で、なくてはならないものだと思います。
それに伴い子どもたちのゲーム時間が長くなることを心配されている親御さんも増えているのではないでしょうか? 近年、子どもたちが熱中するようなゲームが次々と開発・販売されていく一方で、ネットや書籍ではゲームへの依存の危険性を指摘する言説が多く見られるようになり、さらに「どうやって子どものゲーム時間を制限したらよいのか」を教示するサイトも多くなってきました。ここには親御さんたちの不安が反映されているように思います。
一方で子どもたちが熱中するようなゲームを開発・販売しておきながら、他方ではそれへの依存の危険性を指摘し、制限の必要性を唱えるというのはどこか本末転倒したものを感じるのですが、巨大化したゲーム産業や、すでに広く浸透しているゲーム文化を考えれば、今さらこれらが縮小していくことは考えにくく、現実的にはゲームとうまく付き合っていく術を身につけることが求められていくのではないでしょうか。そしてそのためにはゲームのマイナス面だけでなくプラス面にも目をやり、それを伸ばすような楽しみ方をしていくこが必要になります。
今月はそんな視点からゲームに関するお話をしてみようと思います。
生野学園では共同生活の中で周りの子の迷惑にならない範囲であればゲームを制限していません。そのため学園に来ている子どもたちは当然のようによくゲームをします。特にはじめのうちは他にやることが見つからず「暇つぶし」的にゲームをしてしまうこともあり、はたから見ると「依存しているのでは?」と心配する向きもあります。ただ、あとからそうした子どもたちに聞くと「あの頃はそうでもするしかなかった」「ゲームが無かったら居れなかったかもしれない」といった話をしてくれることがあります。ですから一見すると無駄な時間の様に見えても本人にとっては「避けることのできない時期」である可能性もあるので、一概に否定するような対応は避けるべきだと思っています。
そして「ゲームばかりしている生活」がずっと続いていくかというと、そうではなくて、周りの人との関わりの中から何か「やりたいこと」を見つけ、少しづつ他のこともするようになり、次第にそちらへと重心が移っていくのです。
ただ、そうかと言って全くゲームをしなくなるわけではなく「息抜き」的に楽しむことは続けている子がほとんどで、例えば疲れたときは無心でゲームを楽しんで回復するというような「上手い」使い方が出来るようになっていく印象です。
こうした様子を見ていると「ゲーム時間を制限する」ことよりも他に「楽しめること」「打ち込めること」が見つかるような環境を作っていくことの方が重要なのではないかと思います。生野学園の場合はクラブや行事での上級生の姿に接し「自分もやってみたい」という気持ちが起きることがきっかけになることが多くあります。
また今の子どもたちはゲームを介して人との関係を作っていくという面もあります。
例えば子どもたちに根強い人気があるスマッシュブラザーズ(スマブラ)という対戦型格闘ゲームがあって、中学の男子寮ではよく居間に集まって何人かで楽しんでいるのですが、その様子をみると普段はあまり関わりがなく話したことのない子どうしでも、ゲーム中では自然に会話が生まれお互いの距離が縮まるきっかけになることがあります。1対1ではなく複数が画面を介してつながるという「距離」がとっつきやすのかもしれません。
そして高校では昨年から「スマブラ部」ができてゲームの大会を企画しています。これはもちろん「楽しむ」ことを目的としたものですが、この大会の中でたぶん新しい関わりも生まれていくのではと思っています。
もう一つ子どもたちに根強い人気があるゲームにマインクラフト(マイクラ)があります。
マイクラは世界で一番売れたゲームなのでご存じの方も多いかと思いますが、念のため簡単に説明しておきます。
このゲームは立方体のブロックを素材として作られる広大な「ワールド」を舞台にして遊ぶゲームで、ランダムに生成された山や川や海などのある「自然」のワールドの中で様々なものを手に入れ、それを利用して出現する敵と戦いながら生き延びていく「サバイバルモード」と、自らが創造主になり様々な素材を使って自分の思うようにワールドを構築していく「クリエイティブモード」に大別されます。
サバイバルモードでは一応「エンドドラゴン」というラスボスが居ますが、普通のRPGゲームのようにこれを倒すことだけが目的ではなくて、全然別の遊び方をしても構いません。
クリエイティブモードでは自分の思い描いた世界を創造したり、実在の建造物などを再現するといった楽しみ方をします。さらにブロックを組み合わせて作る論理回路を使ってワールド内に様々な装置や機械を作ることもできるし、プログラムを組んでワールドの作成自体を自動化することまで可能です。とにかく自由で多様な楽しみ方が出来るゲームなのです。
このマイクラですが、世間では「教育に良い」という評判があります。
特にマイクラの中にはクリエイティブモードをアレンジした「教育版」というのがあって、これは文科省や総務省からも推薦されてりる「優等生」的ゲームなのです。
そんな事もあってマイクラは教育的に利用されることがよくあります。例えば「マイクラを使った子どものためのプログラミング教室」などが開かれたり、学校でも総合学習の時間にマイクラを使った授業を導入しているところがあったりします。
ただマイクラに限らずゲームを教育的に利用する際には注意が必要だと思っています。
それは「ゲームを使えば興味を示すのでは」とか「ゲームを使って何かを教えよう」といった発想で利用するとゲームの最大の特徴の一つである「自発性」を台無しにしてしまう危険があるということです。本来であれば子どもたちが自発的にゲームを楽しむ中で何かに気づいたり、何かを学んだりしていくべきであって、ゲームを何かを教えるための教育的手段にした瞬間にその魅力は半減してしまうように思うのです。
数々の素晴らしい作品を創られ、またマイクラを通した教育実践もされているプロマインクラフターのタツナミシュウイチさんはあるインタビューの中で、
「『子どもたちに何かを教えよう』なんて考えてはいないんですよ。すでにマインクラフトに触れている子どもたちは、私の想像をはるかに超える作品を生み出してきますから。もちろん技術や知識などを教えることはあります。でも大事にしているのは、彼らの主体性です。」と語られています。
さらにタツナミさんが開催されるワークショップでは「テーマや基本的な予備知識を伝える事はあります。それを解決するためにはどうすればいいのか、子どもたちがそれぞれのマインクラフトの中で表現してくれるんですが、口出しはしません。静かに見守るだけ。そうすると驚くような考えを披露してくれるんですよ。」とも語られています。
もちろんこうしたことが可能なのは参加者がタツナミさんの作品に惹かれ自主的に参加している子どもたちだからということはあるでしょう。
ただ子どもたちに向きあうタツナミさんの姿勢はとても示唆に富むものであり、ゲームのプラス面を引き出す上で、なくてはならないものだと思います。