新学習要領を実施することの難しさ(その2)
先日、テレビのNHKスペシャルで「学校のみらい〜不登校30万人から考える」という番組が放送されていました。そこでは時代の変化とともに学校の果たすべき役割が変わってきており、そうした変化に対応しきれていないことが不登校の増加の根本にあるのではないかという観点から、海外での様々な新しい取り組みが紹介され、日本でも新学習指導要領の「主体的・対話的で深い学び」をふまえたあらたな取り組みが始まっていることが取り上げられていました。
しかし、その一方で、これまでの「教師が生徒に教える教育」から「子どもたちが主体的に学ぶ教育」への転換には様々な困難があることも指摘されていました。その中である教員の方が「もし全国学力テストの点数が下がれば、それは『教えてないからだ』と批判されるのではないか」と話されていたことが印象的でした。確かに多くの人が抱く「学力観」そのものが変わらなければ、そうした批判が起こることも十分に考えられるのでがないでしょうか。かつてゆとり教育が「学力低下を招いた」として批判されたことが思い出されます。

実は以前の雑感(2022年9月)でも新学習指導要領でうたわれている改革を実施していくことの難しさについてお話したことがあります。その時は「教師の負担が大きいこと」「クラスの人数が多すぎること」を理由にあげたのですが、今回この番組を見て改めて考えてみると、実は新指導要領そのものに孕まれている問題もがあるのではという思いを強くしました。以下、そのことについてお話していこうと思います。

教員以外の方はあまり読む機会がないかと思いますが、学習指導要領というのは実に膨大な書類です。前文、総則から始まって各教科ごとに各学年での学習の目標、内容が細かく設定されています。さらに学習指導要領には「解説編」というのもあって、これにも各教科、各学年ごとに学習すべき内容が丁寧に解説されているのです。
この学習指導要領をもとに各学校で教育課程を作成し、文科省によって検定された教科書を使って教師が子どもたちに教えていくのがこれまでの日本の教育システムでした。長い年月をかけて組み上げられてきたこのシステムはたくさんの子どもたちに一律に多くの知識や技能を教えていくのにはとても効率的で洗練されたものだと思います。これは日本が諸外国に比べて高い学力水準を維持してきたことからも明らかでしょう。

指導要領は大体10年ごとに改定されてきています。その都度、打ち出された目標に従って習得すべき内容も削られたり、付け加えられたりと少しづつ修正されてきました。ただ、これはあくまで一部の修正であり多くの部分は継続しています。今回の改定でも「平成 20 年改訂の学習指導要領の枠組みや教育内容を維持した上で,知識 の理解の質を更に高め,確かな学力を育成すること」と明記されています。これはつまり「学び方」は変えても「学ぶ内容」は変わらないということです。

実はここに大きな問題があるのではと思います。
今回の改定が目指す「主体的・対話的で深い学び」という学び方は、表面的な知識や技能を幅広く身につけるのではなく、仲間や教師と相談しながら一つのことを深く掘り下げる体験の中で「自分自身で学んでいく力」を身につけていくことを目標にしています。そしてこの学習はこれまでの「教えられる学習」に比べると多くの時間が必要になると思います。ただ、一旦「自分自身で学んでいく力」を身に着けてしまえば、他のこともどんどん習得できるようになり、結果として学習指導要領に掲げられた内容をより深く理解することにつながるのかもしれません。しかしこれには個人差があり「自ら学ぶ力」を身につけるのに多くの時間を要する子もいるのではないでしょうか。そうした子どもたちの場合「主体的・対話的で深い学び」に時間をかけた分、学習すべき内容が変わらないのであれば、一部を習得しきれないケースも発生し、学力テストの点数が下がることも予想されます。結果として冒頭で紹介したような批判が起こることもあり得るのではないでしょうか。

この場合、取りうる道は二つになると思います。
一つは「主体的・対話的で深い学び」は諦めて従来型の「教師が教える授業」に戻ることです。
学習指導要領が掲げる膨大で細密な学習内容はこうしたシステムを前提として形成されたものなので、内容にこだわるのならこの方法しかないでしょう。
そしてもう一つは、こうした批判は覚悟し、学習指導要領に掲げられた内容の一部は習得することを諦めても、あくまで「自ら学ぶ力」を身につけることを目標にして「主体的・対話的で深い学び」を推し進めることです。そしてこの場合、学習内容の取捨選択は一人ひとりの子どもの状況から現場の教員が柔軟に判断する必要があると思います。

ところが学習指導要領に掲げられた学習内容については、選択科目もあるので文字通り「すべて」ではありませんが、学習しなければならない下限が決まっているのです。実際にはそのすべてを学習することが困難な学校は多くあると思いますが、建前としてはあくまですべて学習しなければならず、現場で変更することは許されていません。
実際、先日も奈良教育大学附属中学校が「指導要領の内容通りに授業をしていなかった」と批判され、学校として謝罪し補習授業を実施するなどの対応を迫られる事がありました。なぜこの時点で学習指導要領の内容を建前通りに履行させようとする力が働いたのかは不明ですが、これは狭い官僚的な対応で、大きな時代の流れに逆行するものではないかと危惧します。

文科省が本気で「主体的・対話的で深い学び」を実現しようと思うのであれば、むしろ学習指導要領で掲げられた内容の取捨選択のかなりの部分を現場に委ねる決断をするか、「学び方」に合わせ「学ぶ内容」についても全面的に改定する必要があるのではないでしょうか。
そして、仮に全国学力テストの点数が下がったとしても、それは「前進のための一時的後退」であるとし、批判に動じず「学力感」そのものを変革していく姿勢を示してほしいと思います。

以上、新学習指導要領の問題点を指摘させてもらいましたが、自分は「主体的・対話的で深い学び」という学び方には両手を上げて賛成です。そしていつも子どもたちに「自ら学ぶ力」をつけてほしいと思っています。その意味で文科省の英断を願っています。
お問い合わせ
資料請求
見学受付