35期生卒業式でお話ししたこと
35期生の卒業式でお話ししたことを掲載させていただきます。
式では、卒業生たちの表情を見ながら話したかったので、あらかじめ書いたものを読み上げてはいません。ですから以下の文は「こんな事を話したかった」という内容です。また実際には言い間違えも多くあったので「修正版」としてお読みください。
35期生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。そしてお母さん、お父さん、ご家族の皆様おめでとうございます。
今日はまず皆さんの先輩の卒業生の言葉を紹介したいと思います。皆さんもよく知っている昨年教育実習に来てくれたDMさんの言葉です。じつは昨年DMさんに生野学園を紹介する文章を書いてもらったのですが、その中に「決められた時間割の無い自由な生活の中で、今日は何をするのかを自ら考え、がむしゃらに自分自身の時間を過ごした日々が今の私をつくっている」という言葉がありました。
短い言葉の中に、生野学園の特徴、あるいは本質を端的に示していると思います。
まず前提になっている「決められた時間割の無い自由な生活」ということですが、たぶん生野学園ほど自由な学校は他には無いんじゃないでしょうか?これは創立者である森下先生の「子どもたちにはちょっと制限を緩めたような中途半端な自由ではなく、本物の自由が必要だ」という思いから生まれたもので、学園ではそれをずっと受け継いできたのです。
ただ、皆さんもよくわかっていると思いますが、こうした自由な環境が与えられたからといってすぐに自分の思うように動けるわけではありませんよね。
実際には何をしたらいいかわからなかったり、そもそも何かをする意欲がわいてこなかったり、あるいはやりたいことはあっても自分の実力がぜんぜん伴わなかったりすることもあったかもしれません。何かをしようと思っても仲間に声をかけられなかったり、頑張って声をかけても動いてくれなかったりしたこともあったかもしれません。逆に自分ではあまりしたくなかったり、するべきではないと思うことだけど、つい周りに合わせたり、流されたりしてやってしまったこともあったのではと思います。そんなとき皆さんは自由な環境があっても思い通りに動けない自分に向かい合わざるを得なかったのではないでしょうか?
自由はとても良いものではあるけど、このように自分自身に向き合わなければならなかったり、自分自身が問われるという意味ではとても厳しいものだと思います。
ちょっと昔の哲学者にサルトルという人がいて、今は過去の人みたいに扱われたりしていますが、この人は「人間は本源的に自由な存在である」と言っています。しかし自由であることは自分自身を問われるとても厳しいことであり、ある意味「人間は自由という刑に処せられている」と言っています。そしてともすれば人間はそうした自由から逃げ出してしまいたくなるのだとも言っています。
皆さんも生野学園の自由な環境のなかで「刑」とまでは言わなくても厳しさを感じたのではないでしょうか。その意味では生野学園はとても「厳しい」学校でもあるわけです。
でもその中で皆さんは少しずつ自分自身に向き合い、自分は何がしたいのか、なにが出来るかを考え、仲間に相談したり、周りの人にアドバイスをもとめたり、先輩たちの動きをまねてみたり、あるいはスタッフの相談して一緒になりかをしたりする中で、「自分自身の時間」を過ごしていったのではないでしょうか。
そして、そうしたことの一つ一つは些細なことだったかもしれませんが、日々「何をするのか」を考え「自分自身の時間」を過ごしていった積み重ねが、今の皆さんの逞しさを築いていったのだと思います。
3年前の入学式での皆さんの姿を思うと、皆さんは驚くほど逞しくなり、本当にたくさんの事が出来るようになったと思います。本当に自信を持っていいと思いますし、ぜひ自信をもって卒業していってほしいと思います。
もう一つお伝えしておきたいことがあります。それは皆さんの卒業後のことです。
ここ何年か自分はこれからの世界がこれまでにないほど変化していくだろうという話をしていますが、今ますますその確信を深めています。
皆さんが高校に入学する少し前に、Chat GPTが登場しました。それから3年ちょっとしか経っていないのにAIは驚くほど進化しました。これはこれからの世界に大きな変化をもたらすと思います。たぶんこの先は人間の働き方はすごく変化していくし、もっと言えば人間の生き方そのものも変わっていくのではないかと思います。
こうした激しい変化に直面すると、人間は不安になりついつい判断を他者にゆだねてしまいがちになります。でも皆さんはここでやってきたように、自分自身と向き合い自分が何をしたいのか、何が出来るのかをしっかりと考えて生きていってください。
ここでで身に付けた力を生かし、逞しくそしてしぶとく生きていってほしいと思います。
そのことを最後にお願いして、式辞とさせていただきます。
式では、卒業生たちの表情を見ながら話したかったので、あらかじめ書いたものを読み上げてはいません。ですから以下の文は「こんな事を話したかった」という内容です。また実際には言い間違えも多くあったので「修正版」としてお読みください。
35期生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。そしてお母さん、お父さん、ご家族の皆様おめでとうございます。
今日はまず皆さんの先輩の卒業生の言葉を紹介したいと思います。皆さんもよく知っている昨年教育実習に来てくれたDMさんの言葉です。じつは昨年DMさんに生野学園を紹介する文章を書いてもらったのですが、その中に「決められた時間割の無い自由な生活の中で、今日は何をするのかを自ら考え、がむしゃらに自分自身の時間を過ごした日々が今の私をつくっている」という言葉がありました。
短い言葉の中に、生野学園の特徴、あるいは本質を端的に示していると思います。
まず前提になっている「決められた時間割の無い自由な生活」ということですが、たぶん生野学園ほど自由な学校は他には無いんじゃないでしょうか?これは創立者である森下先生の「子どもたちにはちょっと制限を緩めたような中途半端な自由ではなく、本物の自由が必要だ」という思いから生まれたもので、学園ではそれをずっと受け継いできたのです。
ただ、皆さんもよくわかっていると思いますが、こうした自由な環境が与えられたからといってすぐに自分の思うように動けるわけではありませんよね。
実際には何をしたらいいかわからなかったり、そもそも何かをする意欲がわいてこなかったり、あるいはやりたいことはあっても自分の実力がぜんぜん伴わなかったりすることもあったかもしれません。何かをしようと思っても仲間に声をかけられなかったり、頑張って声をかけても動いてくれなかったりしたこともあったかもしれません。逆に自分ではあまりしたくなかったり、するべきではないと思うことだけど、つい周りに合わせたり、流されたりしてやってしまったこともあったのではと思います。そんなとき皆さんは自由な環境があっても思い通りに動けない自分に向かい合わざるを得なかったのではないでしょうか?
自由はとても良いものではあるけど、このように自分自身に向き合わなければならなかったり、自分自身が問われるという意味ではとても厳しいものだと思います。
ちょっと昔の哲学者にサルトルという人がいて、今は過去の人みたいに扱われたりしていますが、この人は「人間は本源的に自由な存在である」と言っています。しかし自由であることは自分自身を問われるとても厳しいことであり、ある意味「人間は自由という刑に処せられている」と言っています。そしてともすれば人間はそうした自由から逃げ出してしまいたくなるのだとも言っています。
皆さんも生野学園の自由な環境のなかで「刑」とまでは言わなくても厳しさを感じたのではないでしょうか。その意味では生野学園はとても「厳しい」学校でもあるわけです。
でもその中で皆さんは少しずつ自分自身に向き合い、自分は何がしたいのか、なにが出来るかを考え、仲間に相談したり、周りの人にアドバイスをもとめたり、先輩たちの動きをまねてみたり、あるいはスタッフの相談して一緒になりかをしたりする中で、「自分自身の時間」を過ごしていったのではないでしょうか。
そして、そうしたことの一つ一つは些細なことだったかもしれませんが、日々「何をするのか」を考え「自分自身の時間」を過ごしていった積み重ねが、今の皆さんの逞しさを築いていったのだと思います。
3年前の入学式での皆さんの姿を思うと、皆さんは驚くほど逞しくなり、本当にたくさんの事が出来るようになったと思います。本当に自信を持っていいと思いますし、ぜひ自信をもって卒業していってほしいと思います。
もう一つお伝えしておきたいことがあります。それは皆さんの卒業後のことです。
ここ何年か自分はこれからの世界がこれまでにないほど変化していくだろうという話をしていますが、今ますますその確信を深めています。
皆さんが高校に入学する少し前に、Chat GPTが登場しました。それから3年ちょっとしか経っていないのにAIは驚くほど進化しました。これはこれからの世界に大きな変化をもたらすと思います。たぶんこの先は人間の働き方はすごく変化していくし、もっと言えば人間の生き方そのものも変わっていくのではないかと思います。
こうした激しい変化に直面すると、人間は不安になりついつい判断を他者にゆだねてしまいがちになります。でも皆さんはここでやってきたように、自分自身と向き合い自分が何をしたいのか、何が出来るのかをしっかりと考えて生きていってください。
ここでで身に付けた力を生かし、逞しくそしてしぶとく生きていってほしいと思います。
そのことを最後にお願いして、式辞とさせていただきます。


