AI時代に必要な「問う力」について
先月の雑感で「AI時代の教育は徹底して『意味』にこだわるべきだ」というお話をさせてもらいました。そして最後にじつはもう一つ重要なことがあって、それは「問う力をつけること」だと付け加えさせていただきました。今月はそのお話の続きをしていきたいと思います。

まず話のきっかけとして一つのエピソードを紹介します。
それはAIの急激な発展に伴い人間に求められる仕事が変化していく中で、欧米では哲学科出身者への求人が急増しているというこです。また日本の企業でも哲学者をアドバイザーとして採用しているところがあるという報道も目にしました。
以前は哲学科というと「ちょっと変わった人」が行くようなところで、大学に残ったり教員になったりすることはあっても一般企業への就職にはあまり結びつかないイメージがあったのではないでしょうか? ところがAI時代を迎えた今、哲学がにわかに脚光を浴びはじめたというのです。

いったい今なぜ「哲学」なのか? その理由を探れば「AI時代の教育に必要なもの」が見えてくるのではないか? そうした観点から、以下考察を進めていこうと思います。

はじめに哲学とはどんな学問なのかを確認しておく必要があるでしょう。
ただいきなり哲学の全体像を提示するのは自分には荷が重いので、とりあえず思いつく特徴をあげていきます。
まず哲学は例えば「存在とは何か」とか「認識するとはどういうことか」といった非常に根源的な事を問うのですが、こうした問いに答えるのは容易なことではなく、少なくとも既存の「正解」は存在しません。ですから深い思索により正しいと思われる答えを模索していかなければならないのです。しかもその際には単に「自分はそう思う」という個人的な主張するだけではなく、他者にも納得してもらえるような論理的で厳密な議論を展開しなければなりません。
同じように論理的な議論が必要な学問に数学がありますが、数学では前提となる「公理」を認めた上で議論を展開するのに対し、哲学では前提となる言葉の意味そのものを問い返すという違いがあります。
この「言葉の意味そのものを問い返す」ということについては、以下にもう少し詳しく説明しておきます。
私たち人間は「言葉によって切り分けられた世界」を生きています。この「言葉によって切り分ける」というのは少し分かりにくいかもしれませんが、言葉というのはあらかじめ存在している物や事につけた名前なのではなく、自分たちの生きている世界の一部にある名前を付けることで、それが他の部分と区別され(切り分けられ)、物や事として形成されるという事態を表しています。そしてある言葉によって切り分けられた部分がその言葉の意味なのです。
たぶん生まれたままの子どもの内的な世界はまだ切り分けられていない漠然としたものだと思います。それが少しずつ周囲の人たちが話すのを聞き、自らも発語し体験を深めていくなかで言葉を覚え、しだいに内的な世界がその言葉によって切り分けられていきます。その積み重ねによりだんだんと複雑で抽象的な概念も解るようになっていくのだと思います。そして実際に使われている言葉は他者の生きる(生きた)内的な世界を反映したものですから、その言葉の意味が解るようになるということは自分の生きる世界も同じように切り分けられていくということになります。
ただ一つ厄介なことがあります。それは世界の「切り分け方」には絶対的な「基準」がなく、様々な「切り分け方」が可能だということです。実際、ある言語にはあっても他の言語には無い概念はいくらでもあり、それはそれぞれの「切り分け方」が違っていることを示しています。
もっと言えばたぶん一人ひとりでも「切り分け方」は微妙に違っているはずです。会話の中で相手と言葉の意味がずれている感じることもあるのではないでしょうか。でもそれぞれの内的な世界の事なので直接確かめることは出来ません。

ただし、それぞれが全くばらばらの「切り分け方」をしているわけではないと思います。同じ言語を使っている人たちはであればおおむね同じような「切り分け方」をしているはずですし、たとえずれていても同じ状況を共有しながら会話することで手探りで修正していくことも可能です。このように「共有する切り分け方」があるからこそ社会が成立しているのでしょう。

ここで哲学に話を戻すと、哲学が「言葉の意味そのものを問い返す」というのは一般に共有されている「切り分け方」そのものに疑問を投げかけ、それを修正していくということです。
例えば「存在とは何か」という問いであれば、既存の「存在」という言葉が切り分けているものが曖昧なので、それをもっと正確に、もっと細かく切り分けることにより「存在」の性質を明らかにしていくといった思索をするのです。既存の言葉だけでは答えようのない問いに対し、事象を注意深く観察し必要であれば新たな切り分け、新たな概念を作り出すことで真理に向けて粘り強く迫っていくのです。このように哲学は既存の言葉による「世界の切り分け方」を修正したり、より細かくしていく作業を、しかも言葉によって遂行するという非常に困難なミッションをこなす学問なのです。それを考えれば多くの哲学書が分厚く難解なのも当然と言えるでしょう。

次にAIについて振り返っておきます。
前回もお話しましたが、現在のAI(大規模言語モデル)は人間が使っている言語を徹底的に学習したものです。そしてその言語は人間の生きる世界を「切り分けている」ものですからAIは膨大な「切り分け方」を識っていることになります。それはとても個人が追いつけるものではありません。
ただしAIは膨大な「切り分け方」は識っていても「切り分けられた世界」そのものを生きているわけではありません。言葉に対応する「生きた世界」を持たないのです。これは前回「AIは意味を理解しているわけではない」と言ったのと同じことです。

ですからAIは「世界を新たに切り分ける」ことは出来ません。より正確に言えば言葉による「新たな切り分け方」は提示できるけど、それは「生きている世界」と結びついたものではありません。つまり「意味を持たない言葉」である可能性が高いのです。これが「AIが平然と嘘をつく」理由の一つだと思っています。
それゆえにAにIは哲学的な思考が出来ません。もちろんAIは古今東西の膨大な哲学書を学習しているので既存の哲学の解説はお手の物です。自分もよくAIに哲学に関する質問をしますが、本当にうまくまとめてくれます。しかし、上述したような「世界を新たに切り分ける」ような根源的な意味での哲学的思考は原理的に不可能なのです。

では企業が哲学科出身者に求めるのは何でしょうか?もちろん純粋に哲学の研究してもらうことではありません。それはたぶん根源的な問いを考える「哲学的な思考力」なのではと思います。ほとんどの人があたり前と思い込み、問題にしないような事柄に対しても「本当にそうなのか?」と疑問を呈し、もしあいまいなところがあれば粘り強く考えて修正していく力なのではないでしょうか。そしてこれは「最も確率の高い言葉」を返してくるAIには決して出来ない思考法です。

今後多くの仕事がAIに取って替わられると思います。その際、既存の言語で解決可能なものは間違いなく含まれます。残るのは既存の言語では正確にとらえられない分野、あるいはそもそも言語化出来ない分野ですが、前提としてどれがそうした分野なのかを見分ける力が必要になります。その力をつけるためには様々な事柄について「ほんとうにそうなのか?」「きちんと説明されているのか?」といった疑問を呈し、納得するまで考えてみることが重要だと思います。
その意味で「問う力」をつけることがこれからの教育の課題なのではないでしょうか。
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