AI時代の教育に必要なこと
前回の雑感では「AI時代に必要な力」について考えてみました。
それを受け、今月はその力をつけるにはどのような教育が必要になるのかを考えてみます。それにあたり改めて「AIと人間の違い」を振り返っておこうと思います。

AIと人間の最も大きな違いは「AIは言葉の意味を理解しているのではない」ということだと思います。
現行のAI(大規模言語モデル)は実際に使われている「言葉と言葉のつながり」を徹底的に学習したものです。ですから一連の言葉の流れがあれば「次に来る確率の高い言葉」が「解る」のです。しかしAIが「解って」いるのはあくまで言葉同士の関係であり、一つひとつの言葉の「意味」を理解している分けではありません。それにも関わらずこれだけのことが出来てしまうのは実に驚くべきことであり「規模が大きくなれば飛躍的にAIは賢くなる」ことを見抜いたAI研究者には脱帽です。同時にこれは言葉の本質は「関係」の中にあることを示唆しているのかもしれません。

これに対し人間はある言葉にふれたとき何らかのイメージが浮かんで来るのではないでしょうか。
AIと違い身体を持っている人間はいつも五感で感じる自分自身の世界を生きています。たぶんそれは生まれてから少しずつ形成、蓄積されてきた「私的な世界」だと思います。そしてある言葉を聞いたとき、その世界の中に他とは区別されたある対象が浮かび上がり、それが言葉の「意味」と感じられるのではないかと推測します。そうであれば新しい言葉や概念を学ぶということは、試行錯誤の中で自分自身の世界の中にそれに対応する部分が分節、形成されていくということであり、それが「解る」ということなのではないでしょうか。言い換えると「何かが解る」というのはそれまで漠然としていた自分の生きる世界が言葉や概念で分節・構造化され明確化していくことなのです。
ですから学習というのは単に知識を「所有」していくものではなく、自分の生きる世界の中に新たな部分が「形成」されていくということであり、何よりも自分自身が変化していくことなのです。
その意味では学習は単に「教えてもらう」ことではなく「自ら学ぶ」という主体的な行為だとも言えるでしょう。

自分の中にはこうした「学習観」が基底にあるので、学習にあたっては「しっかり考えて意味を理解すること」を大切にしてきました。そしてAIの力を目の当たりにしている今、あらためて教育はとことん「意味」にこだわるべきだと感じています。「暗記」やドリル的な「反復トレーニング」で身に付くような力では絶対にAIに太刀打ちできません。そんなものはすべてAIに任せてしまい、どんなに時間がかかっても人間にしか出来ない「意味を理解すること」に重点を置くべきではないでしょうか。Aiが言葉の意味を理解していないのなら、逆に人間はとことん意味にこだわるべきだと思うのです。

以下、もう少し具体的な例をあげて説明してみようと思います。

取り上げるのは小学校の算数で多くの子の「壁」になっている分数の理解です。
実際、中学生や高校生と接していても「分数は苦手」という子が多いと感じています。

ではなぜ分数は「難しい」のでしょうか。
それはたぶん分数が二つの数の「関係」によって形成されるものだからです。
分数が出てくる前の自然数はものの個数に対応しているので理解しやすいのだと思います。これが小数(量)になっても、例えば温度計のような直線上の位置に対応させればイメージはしやすいと思います。
これに対し分数の本質は二つの数の関係(比)にあります。もちろん最初の導入は、例えば「2分の1」でありば「1の半分」というように「量」として扱いますが、「全体の2分の1」と言ったときの「全体」は必ずしも1に固定されているわけではないので、全体が変わればその値は変わります。つまりこの場合の「2分の1」は「量」ではなく「関係」であり、抽象度が一段上がるのです。
また、おなじ「2分の1」が「量」になったり「関係」になったりするのも子どもたちには分かりにくいところだと思います。
さらに「2分の1 = 4分の2」になるとその意味は「2と1の関係は4と2の関係に等しい」ということであり、「関係と関係の間の関係」を扱っているのでさらに抽象度が上がります。これが分数の「難しさ」の理由だと思います。

では、この「難しい」分数を理解するにはどうすればよいのでしょうか。
それには「実際に分けてみる」「図を描いてみる」「いろんな関係を実際に試してみる」といった具体的な体験を積み重ねていく中でイメージを形成していくしかないと思います。体験的な世界が豊かになることで少しずつ抽象的な「関係」も「実感」として感じられるようになっていくのです。こうした体験を経てはじめて自分の中に「分数」の概念が形成され「意味が解る」ようになるのであり、外部から「出来上がった分数の概念」を知識として習得するのではありません。ですから分数がなかなか理解できないとしたら、具体的な体験がまだまだ不足しており、その子の世界の中に分数の概念を形成するだけの経験の熟成が進んでいないということです。その解決策はさらに経験を積むことしかありません。

分数にはさらに「たし算」や「かけ算」といった演算があります。これの理解にあたっても具体的な場合の図を描いて見るといった作業を繰り返す必要があると思います。単純な「反復練習」には意味は感じませんが、このようにイメージを形成し、試行錯誤しながら「なぜこうなるのか」を理解するためのトレーニングは必要であり、有効です。

ところが実際には、とりあえずみんなが計算できるようにするために、例えばかけ算であれば「分子同士、分母同士をかければ良い」、割り算であれば「ひっくり返してかければよい」と「教えて」しまっているケースが多いのではないでしょうか。確かにこうすれば自然数のかけ算に帰着するので計算そのものはすぐ出来るようにはなります。しかし、これは計算の意味を理解したのではなく、単に「やり方を覚えた」に過ぎません。ある意味AI的な学習法なのです。その結果、しばらく分数計算から離れると「やり方」を忘れてしまう子が多いのです。自分の中に分数やその演算の概念が形成されていなければ、これは当然の結果だと思います。
ですから大切なのはたとえ時間がかかっても「なぜそうなるのか」をしっかりと考えながら、子どもたちが自分の中に分数の意味を形成していくことなのです。

子どもの抽象的な思考力は膨大な体験の中で徐々に身に付いていくものであり、当然個人差があります。ですから本来みんなが一律のペースで学習を進めていくことには無理があります。それを何とかしようとするから「やり方を教える」という手段に頼らざるを得なくなっているのではないでしょうか。むりに学習時期を合わせず、子どもによってはもっと経験を積んだ後に学習していけるようになるべきだと思います。一刻も早く「学習の個別化」が実現され、子どもたちが自分のペースで「解る」という体験をし、意味を理解できるようになることを願っています。

今回お話した「とことん意味にこだわる教育」は現行の指導要領のかかげる「主体的、対話的で深い学び」と目指すところは近いと思っています。
ですから今後の教育がこの流れが進んでいくことを期待しているのですが、最近の報道でいくつか気になるものがありました。それは「探求学習のせいで子どもたちの学力が低下している」というものです。
現行指導要領の掲げる探求学習はこれまでのように教師が一方的に「教え込む」教育を改め、自らが課題を見つけ主体的に学ぶことを目指したものです。
大きな転換なので現場の戸惑いもあり、たしかにうまくいっていない現状もあるかとは思います。そして「教える」ことを少なくすれば旧来の学力観から見た「学力」は確かに低下するでしょう。今回お話したように「計算の方法」を教えず、反復練習をしなければ当然「計算力」は下がります。でもそんなことは「織り込み済み」であり、そもそも目指すところがちがうのです。
そうしたことを理解せず、古い学力観による「学力」が下がったからといって「探求学習」を見直すべきだというのははっきり言ってとんでもない「時代遅れ」の発想だと思います。こんな意見が力を持つことのないことを願っています。

じつは今後の教育にとってもう一つとても大切なことがあると思っています。それは「問う力」をつけることです。次回はそれについて考えてみようと思います。
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