事務室には、毎日色んな生徒が訪れる。
「油性ペン貸して」、「千円札、両替してくれん?」、 「コピー機使ってたら、紙つまった」。私は、「あいよ」と言って机の引き出しから取り出したペンを渡し、「五百円玉と百円玉でええんか?」と言って小型金庫の中の小銭を数え、「しゃあないなあ」と言ってコピー機のカバーを開けて隙間に指をつっこみ、クシャクシャになった紙を取り除く。
これらの要件は、「一応、事務に関わる仕事だな」と認識する。
「ここで絵、描いてもいい?」とやってくる生徒。私の事務机の端の空いたスペースに紙を広げて、器用にアニメキャラクターのイラストを描いていく。「腹へった…チョコ食いたい」とやってくる生徒。私が「口さみしい時」のために机の中に常備しているチョコレートを指さしねだる(分けてあげると後日、お返しの意味か、アメをくれたりする)。「クワガタ、置かしといて」とやってくる生徒。学園の周りは山だらけ。虫好きの生徒が、自分でクワガタや虫を捕まえてくることも珍しくない。プラスチックケースに入れられたクワガタを、寮の自室に持って帰るまで一時的に預かっていればいいのかと思いきや、そのまま事務室飼うことになったり(エサのゼリーを持ってきたり、毎日クワガタの様子を見にくる生徒。なぜ、自室で飼わないのかはわからない…)。そういえば、生徒が「ハリガネムシ」という文字通り細長い、体長20センチぐらいの寄生虫を捕まえてきて、それを飼っていたこともあった。私は、水の中でウネウネ動き回る寄生虫を横目に見ながら、「今月の光熱水費支出の合計は…」と電卓のキーを叩き、会計の仕事をしていた…。
このように、事務とは関係のない用件でも生徒はおかまいなしにやってくる。いや、むしろそういう生徒の訪間の方が圧倒的に多い。
熱いお茶を注いだ湯のみを持ってきて、ちびちび飲みながら一服する生徒。事務室の隅の床にペタンと座り、iPodでじっと音楽を聴く生徒。私の横で剣玉を始める生徒…。
「まあ、ええか。ここで好きなように過ごしてもらったら」と寛容になる私。
一方、「コンビニ連れてって」、「メンツおらんねん、一緒にマージャンしよう」と頼みにくる生徒。4,5人で溜まって大きな声でしゃべり続ける生徒。「あのなー、事務はそんなにヒマやないねんで」、「電話の声が聞こえへんやろ。もうちょい静かにしてや」とたしなめる私。「わかってくれただろうか?…ハァ…」と、ちょっとため息が出る時もある。
別のある時。仕事に集中しているにもかかわらず、「最近薄なってきたんちゃうん」と私の髪をピンピン引っ張ってくる生徒。「あっ!やめろ!何すんねん、コンチクショウ!お前の髪も抜いたろか、オラオラ…」と、つい、私も休を張って生徒にからんでいく。本来、事務仕事を中断してまでやることではないだろうが、「やめろ」とクールに一瞬振舞うよりも、小学生のように生徒とじゃれあう方を選択してしまう。もみくちゃになりながら、生徒が困った顔をしたり笑ったりするのを見て、私の顔もほころんでくる。
生徒は色んな話を聞かせてくれる。好きな芸能人の話。今やっているバイトの話。理想の恋愛の話。将来どうやってお金をかせごうかという話。こちらの仕事の合間に「ひと時の談笑、という場合もあれば、腰を据えられ、重いテーマで一時間以上話しかけられる場合もある(「こりゃ、話を切るのは無理だな」と覚悟を決め、こちらも腰を据えて話を聞くことも)。
生野学園の事務室とは、いったい何なんだろう?時々考え込む。事務員である私にとっては、「仕事部屋」という言い方が一番しっくりくるはずだろうに、どこか違和感。「毎朝、事務室に『おはよう』と声をかけてくれる常連の生徒の顔を今日は見ていない」。そんな時、「何か調子悪いのかな…」と心落ち着かない。担任というわけでもないのに、事務室を通じて、いつの間にか気になる生徒が増えていく。
生徒にとってはどうだろうか?「事務室は落ち着くなあ」、「ヒマつぶしに寄ってみよか」。あるいは「また高見をからかいに遊びに行こか」。どんなふうに思ってくれているのだろうか。
生徒に直接、答えを尋ねたことはない。
ただ、事務室には、今日も色んな生徒が訪れる。