3年間を振り返って
男子 父 (高星会ニュースより)
 生野学園に入学して早いもので、あっという間の3年間でした。卒業というひとつの区切りを前にして、「もう3年」という思いと、「まだまだ 3年」という両方の思いが、今、去来してきます。
 息子が生野学園への入学を決めたのは彼の意思でした。学校に行くことができず、 家から一歩も出ない生活が1年を過ぎようかとする頃、「何とかせねば」という焦りにも似た彼の気持ちが、ヒシヒシと伝わってきたのを覚えています。その思いが彼を生野学園へと、 ひと押ししたことは間違いありません。
 実は入学当初、「学校行く」というその一点だけで、私自身ひと安心したのも事実です。学校に行けなくなった子を持つ親たちにとって、「学校に行く」ということ、そのこと自体が「目的」となってしまいがちです。しかし、学園での時間を経験するにつれ、「学校に行く」ということは、あくまで「手段」だったんだ、実は、そこからが息子も含め、私たち親にとっても、すべての始まりだったんだということを、今は染み入るように理解できるようになりました。
 この3年間、息子はいろいろな人と人との関わりの中で、それこそ薄皮を一枚一枚剥ぐように、彼らしい笑顔と自信を取り戻していったように思います。これと平行するように、私たち親も例会や行事などの様々な機会のなかで、いろいろな話を聞き、飲み、かつ、しゃべることで、数々の「気付き」に直面しました。「目からウロコ」とはよく言いますが、「目の中にこんなにウロコが入っとったんかいな?」と思うぐらい大量のウロコが落ちたように思います。(それでもまだウロコは残っているようですが・・・・・)親会のすばらしさ、楽しさもさることながら、学園のスタッフの努力には、本当に頭が下がります。
 この3年間、私たち親子は「生野学園」という場で、信頼できる大人たちと、友人たちの力を借りながら、一緒に悩み、考え、成長してきたんだと思います。また、まだまだ成長の途上であるとも思えます。詰まるところ、不登校の問題は私たち親子にとっては、あくまで「現在進行形」であって、決して今、解決してしまった「こと」ではないということなのかもしれません。
 卒業を間近に控え、今、しみじみと理解できることは、息子の不登校体験での「苦悩」は「どう生きるか」という「問い」そのものであったのだと思います。そして、それはとりもなおさす、私にとっても「これからどう生きるか」という、私自身への「問い」となって、今、目の前に横たわっています。「人生はまだまだ長い、ゆっくりやったらええねん」と、ようやく肩の力が抜けつつあるように思う、今日この頃です。