11月
1学期のことですが、自転車好きの高校生ふたりがサイクリング部を立ち上げ、自分が顧問を引き受けることになりました。活動は学園周辺のコースを走ったり、ローラー台などでトレーニングをすることです。(ただ最近は体育祭、学園祭と大きな行事が続いたのであまり活動ができておらず、本格的な冬が来る前に「一度どこかに行きたいね」と話しています。)
ところで、もう60歳近い自分がサイクリング部の顧問を引き受けたのは何故かと言うと、それは単に「自転車が好きだから」ということに尽きます。
じつは自分は自転車に乗るのもレースを見るのも大好きなのです。

ではなんで自転車が好きになったのか?
まずその話をしたいと思います。

話は自分の幼年時代、4歳くらいの時に遡ります。
兄が小学校に入学するときに自転車を買ってもらったのですが、弟の自分も欲しがったため親はしかたなく16インチの小さな自転車を買ってくれました。
一週間ほど練習すると乗れるようになり、そこらじゅうを乗り回すようになりました。
その頃はとにかく楽しくて幼稚園から帰ってくるとすぐに自転車でどこかへ出かけていった記憶があります。友達が事故にあって骨折するという怖い目にもあいましたが、幼稚園の先生から「子どもたちだけで渡っては行けない」と言われていた道路の向こうへ冒険に行った時のワクワク感は今も鮮明に覚えています。
今にして思うとそれは自転車という道具を得ることで「それまで行けなかったところに行けるようになり、自分の生きる世界が一気に広がる」という体験をしたことであり、その「感動体験」が自分の自転車好きの根底にあるのではないかと思っています。
自分の体験ではありますが、子どもの頃の「感動体験」が本当に大きな影響を及ぼすことを感じます。

ところで自転車(bicycle)というと思い出す話が一つあります。
アップルコンピュータのスティーブ・ジョブズがMacintosh(Mac)を開発する際に製品の名前をBicycleに変更しようとしていたというエピソードです。(実際にはプロジェクトメンバーに反対され、そのままMacintoshという製品になり今のMacにつながることになります)

なぜジョブズはBicycleという名前にしようとしたのか?
ジョブズは “Computers are like a bicycle for the mind”(コンピューターは知性にとっての自転車のようなものだ)と言っています。趣旨をまとめると次のようなことだと思います。
「人間は野生動物に比べると身体能力では明らかに劣っているが、自転車という道具を使うことでより早く走り、より遠くまで行けるようになる。つまり自転車は人間の身体能力を拡張する道具である。同じようにコンピューターは人間の知性を拡張する。コンピューターにより人間の知性だけでは出来なかったことが出来るようになり、人間の生きる世界が広がる。コンピューターとはそういった道具である」

幼いとき自転車で「世界が広がる」体験をしていた自分にとってこれはすごく納得のいく話でした。そしてコンピューターに初めてふれた時にも確かに「世界が広がる」という実感を味わいました。

今でこそ自分はかなりヘビーなコンピューターユーザーですが、使いだしたのは意外と遅く30歳を過ぎてからで、それまではワープロもコンピューターもむしろ意識的に避けていたように思います。
そんな自分が少しプログラミングをするようになり、数学のフラクタル図形やカオス図形をコンピューターで描いてみたところ、比較的単純な数式であっても何千、何万と繰り返し計算することで驚くほど複雑な図形を生み出すこを知りました。人間の計算ではとても到達できないような世界をコンピューターが見せてくれたという意味で、まさにジョブズのいうBicycleを実感する経験だったと思います。ただ当時所有していたパソコンの12メガヘルツのCPUでは性能に限界があり、寝る前にプログラムを走らせ、朝になって結果を確認するくらいの時間がかかりましたが・・

その頃から30年近くの年月が経ちコンピューターのスピードは飛躍的に早くなりました。
当時やっていた計算ならスマホでもあっという間に結果を出してしまいます。AI(人工知能)の進化により人間が面倒な作業から開放され、より創造的なことに集中することが出来るようになってきました。それどころかAIから教えられることで人間の知性が深まることも起こり始めています。
Bicycleの性能も格段に進化したと言えるでしょう。

でも今のコンピューターがジョブズのいうBicycleとして十分に機能しているかというと、残念ながらそうとは言えない面があります。

たとえば今のネット、特にSNSでは人を攻撃したり蔑んだりする言葉が飛び交っています。
そしてネット上の情報を吟味することなく信じてしまう人たちも多く見られます。
子どもたちの間でもSNSを介したトラブルが目立つようになりました。
情報を一瞬で伝達・拡散していくコンピューターのネットワークはうまく使えば人と人との関係を拡張する有用なツールになる一方で、同時に人間の持つ負の部分も拡張してしまっているのではないでしょうか?

人と人が直接話しをする場合はそれなりの意思や準備が必要で、そこでいろいろ考えたり、自省したり、感情の整理をする過程があります。これに対しネットワーク上のやり取りにはこうした過程が疎かになってしまう傾向があると思います。その意味では人間はまだこのツールのスピードについていけず、使いこなせていないのではないでしょうか?

それではどうしたらいいのか?
たぶんすぐに効果のあるような解決策はないと思います。
地道にこのツールを使いこなす力をつけていくしかなく、長い目で見ると結局は「教育の課題」ということになるでしょう。
そして教育といっても一般的に「〜してはいけない」とか指導するだけでは効果はなく、子どもたちに基本的な力をつけていく取り組みが必要です。
「人の話を聞く」「人に話をする」という基本から始まって「論理的に考える力」「自分の行為が他者にどう受け取られるかを理解する想像力」「自分を取り巻く世界についての正確な認識」・・・、こうしたものを組織的、長期的な展望のもとに試行錯誤を繰り返しながら対話的に学んでいく必要があるでしょう。
それは今の教育に求められている一つの重要な課題だと思います。

何年かの後、高性能のBicycleを乗りこなす子どもたちがたくさん育っていることを願っています。